10年03月01日
■態度が変われば、行動が変わる・・・
◆態度が変わらない人は、何も変えられない
外国のある宗派の教えに、こんな言葉がある。
「心が変われば 態度が変わる
態度が変われば 行動が変わる
行動が変われば 習慣が変わる
習慣が変われば 運命が変わる
運命が変われば 人生が変わる」
宗派に関係なく、自己を客観視するのに、じつにいい心の養分になると思っている。
私はあと1行を勝手につけ足している。
「心が変わらない(変えられない)人は、何も変わらない(変えられない)」
ある会社の幹部の一人が、その会社を辞めて独立した。
追い風に吹かれて、毎年売上を伸ばしていった。
従業員も増え、社長!社長!と呼ばれ、この幹部はすっかり社長業に馴れ過ぎてしった
やがてゴルフもやるようになった。前の会社時代から、目をかけていた部下も呼び寄せ、専務に据えた。すると社長はふだんの日でも、留守が多くなった。
会社はこの専務に任せ、毎日のようにゴルフ三昧。
この社長の会社は、いま経営危機の真っ只中にある。
それでもこの社長は、過去のよき時代の経営手法を変えようとはしない。いや、過去のよき時代の体験に縛られ、変えられないでいる。まさに自縄自縛そのものである。
◆“不易流行”とカメレオン型の経営者
この言葉はもともと芭蕉の俳諧用語である。
不易とは、変わらないこと。どんなに時代は移ろえど、変わらぬもの変えてはならぬものもある。しかし同時に、変わるもの、変えるべきものがある。これが、“不易流行”である。
しかしここでは、“流行”の実践に的を絞ってみたい。
上に紹介した社長は過去の体験に執着していたが、このタイプの人は、“しがみつき”で共通している。いまの業界から飛び出して、新天地を求めるべきなのに、それがやれない。
“自分が乗っているのは、どっちみち沈む泥舟”という自覚がないのだ。
ところがある酒店の経営者は、「このまま泥舟に乗っていてもダメだ」と決意した。そして考えた。「菓子を作ろう(外注)」と思った。作っても売れなければ製品倒れになる。
そこで考えたのが豆菓子である。ただの豆菓子じゃない。では何が違うのか。
ネーミングが違うのである。なんと「ゴリラの鼻くそ」。
「このまま酒にしがみついていては、自滅するだけだ。「豆を使った甘納豆なら素人の自分にも作れるのではないか?」。こう自分に言い聞かせ、黒大豆を原料に挑戦したのである。
そして、『ゴリラの鼻くそ』のネーミングで売り出したら、多くの動物園にはゴリラがいる。そういう動物園が、一斉に“おみやげ”として扱いはじめた。東京の上野動物園でも売っている。あの旭山動物園でも、愛知県のモンキーセンターでも売っている。
累計で300~400万袋が売れたという情報もある。(一袋500円)
この酒店の経営者こそ、カメレオンそのままに、環境適応型の発想に自分を変え、成功した人と言えよう。環境不適応のしがみつきは、わが身を滅ぼすだけである。
外国のある宗派の教えに、こんな言葉がある。
「心が変われば 態度が変わる
態度が変われば 行動が変わる
行動が変われば 習慣が変わる
習慣が変われば 運命が変わる
運命が変われば 人生が変わる」
宗派に関係なく、自己を客観視するのに、じつにいい心の養分になると思っている。
私はあと1行を勝手につけ足している。
「心が変わらない(変えられない)人は、何も変わらない(変えられない)」
ある会社の幹部の一人が、その会社を辞めて独立した。
追い風に吹かれて、毎年売上を伸ばしていった。
従業員も増え、社長!社長!と呼ばれ、この幹部はすっかり社長業に馴れ過ぎてしった
やがてゴルフもやるようになった。前の会社時代から、目をかけていた部下も呼び寄せ、専務に据えた。すると社長はふだんの日でも、留守が多くなった。
会社はこの専務に任せ、毎日のようにゴルフ三昧。
この社長の会社は、いま経営危機の真っ只中にある。
それでもこの社長は、過去のよき時代の経営手法を変えようとはしない。いや、過去のよき時代の体験に縛られ、変えられないでいる。まさに自縄自縛そのものである。
◆“不易流行”とカメレオン型の経営者
この言葉はもともと芭蕉の俳諧用語である。
不易とは、変わらないこと。どんなに時代は移ろえど、変わらぬもの変えてはならぬものもある。しかし同時に、変わるもの、変えるべきものがある。これが、“不易流行”である。
しかしここでは、“流行”の実践に的を絞ってみたい。
上に紹介した社長は過去の体験に執着していたが、このタイプの人は、“しがみつき”で共通している。いまの業界から飛び出して、新天地を求めるべきなのに、それがやれない。
“自分が乗っているのは、どっちみち沈む泥舟”という自覚がないのだ。
ところがある酒店の経営者は、「このまま泥舟に乗っていてもダメだ」と決意した。そして考えた。「菓子を作ろう(外注)」と思った。作っても売れなければ製品倒れになる。
そこで考えたのが豆菓子である。ただの豆菓子じゃない。では何が違うのか。
ネーミングが違うのである。なんと「ゴリラの鼻くそ」。
「このまま酒にしがみついていては、自滅するだけだ。「豆を使った甘納豆なら素人の自分にも作れるのではないか?」。こう自分に言い聞かせ、黒大豆を原料に挑戦したのである。
そして、『ゴリラの鼻くそ』のネーミングで売り出したら、多くの動物園にはゴリラがいる。そういう動物園が、一斉に“おみやげ”として扱いはじめた。東京の上野動物園でも売っている。あの旭山動物園でも、愛知県のモンキーセンターでも売っている。
累計で300~400万袋が売れたという情報もある。(一袋500円)
この酒店の経営者こそ、カメレオンそのままに、環境適応型の発想に自分を変え、成功した人と言えよう。環境不適応のしがみつきは、わが身を滅ぼすだけである。
◆ユニチャームの創業者、高原慶一郎さんは、「私のない人間は伸びません」という考え方をする人だそうである。
以下は、何人かの部課長にした質問。
A.「きょう私が会議で述べた意見、きみはどう思う?」
B.「私が10日ほど前に会社に送った提案書、きみはどう思う?」
C.「今度私が企画して、会社に提案している研修方式の変更、きみはどう思う?」
すると“私のない人”の返事や回答は、大体こんなものである。
a.「参加者にも、いろんな人がいますから一概に、いいとか悪いとか言えませんから…」
b.「組織で働いているものですから、ぼくが個人の意見として言うことは、そのお…」
c.「研修は人事課が担当していますから、その人事課の問題に対して、個人的な意見は…」
お読みになってわかることは、とにかく煮え切らない、メリハリのない返事ばかり。
こういう人は、“私は……と思う”という主体性を表す言葉を絶対に使わない。
こういう人たち、つまり“私のない人”というのは、どうやら、「自分の責任でも問われたら、とても困る」という考え方が、骨の芯まで染み込んだ人のようだ。
◆ミサワホームの創業者、三沢千代冶さんの考え方と、いま紹介した高原さんの言葉には重なるものがある。つまり似たようなことを、二人とも部課長に対して考えていらっしゃる。
三沢さんはよく、「何をやりたいかより、何をやるべきかを考えろ」と語っていた。
一方高原さんは、「やりたいことを探すより、やるべきことに没頭せよ」とおっしゃる。
言葉の真意は、共通するようだ。
ある社員が、勤務先の社長と専務を乗せ、車を運転していた。
「しかし各社各様に勘定科目が違うし、財務諸表を集めても、全体の集約がしにくいですなぁ…」ということを語り合い、何かいい方法はないものか、と二人が話し合っている。
その社員は、業界団体の会長職にあった社長が、加盟全社の経営数値の集計に困っていることを知った。
約1ヵ月後、「東京○○○協力会各社の、勘定科目統一試案」という案を専務に提出した。
しかし長期間、何のレスポンスもないから、「余計なことじゃ…」と、叱られるか、無視されたのかと思っていたら、ある日社長に呼ばれ、こんな指示を受けた。
「今年の東京○○○協力会の総会は、鬼怒川の○○ホテルで開催するが、きみも参加してきみ自身から、あの統一試案を説明してくれ。いちばんわかっている人間が説明したほうがいいだろう…」
その社員は後日、最年少の総務部長になった。その時思った。「何も言わなかった社長だが、“何をやるべきか”という人間を求めていたんだなぁ!」と。
以下は、何人かの部課長にした質問。
A.「きょう私が会議で述べた意見、きみはどう思う?」
B.「私が10日ほど前に会社に送った提案書、きみはどう思う?」
C.「今度私が企画して、会社に提案している研修方式の変更、きみはどう思う?」
すると“私のない人”の返事や回答は、大体こんなものである。
a.「参加者にも、いろんな人がいますから一概に、いいとか悪いとか言えませんから…」
b.「組織で働いているものですから、ぼくが個人の意見として言うことは、そのお…」
c.「研修は人事課が担当していますから、その人事課の問題に対して、個人的な意見は…」
お読みになってわかることは、とにかく煮え切らない、メリハリのない返事ばかり。
こういう人は、“私は……と思う”という主体性を表す言葉を絶対に使わない。
こういう人たち、つまり“私のない人”というのは、どうやら、「自分の責任でも問われたら、とても困る」という考え方が、骨の芯まで染み込んだ人のようだ。
◆ミサワホームの創業者、三沢千代冶さんの考え方と、いま紹介した高原さんの言葉には重なるものがある。つまり似たようなことを、二人とも部課長に対して考えていらっしゃる。
三沢さんはよく、「何をやりたいかより、何をやるべきかを考えろ」と語っていた。
一方高原さんは、「やりたいことを探すより、やるべきことに没頭せよ」とおっしゃる。
言葉の真意は、共通するようだ。
ある社員が、勤務先の社長と専務を乗せ、車を運転していた。
「しかし各社各様に勘定科目が違うし、財務諸表を集めても、全体の集約がしにくいですなぁ…」ということを語り合い、何かいい方法はないものか、と二人が話し合っている。
その社員は、業界団体の会長職にあった社長が、加盟全社の経営数値の集計に困っていることを知った。
約1ヵ月後、「東京○○○協力会各社の、勘定科目統一試案」という案を専務に提出した。
しかし長期間、何のレスポンスもないから、「余計なことじゃ…」と、叱られるか、無視されたのかと思っていたら、ある日社長に呼ばれ、こんな指示を受けた。
「今年の東京○○○協力会の総会は、鬼怒川の○○ホテルで開催するが、きみも参加してきみ自身から、あの統一試案を説明してくれ。いちばんわかっている人間が説明したほうがいいだろう…」
その社員は後日、最年少の総務部長になった。その時思った。「何も言わなかった社長だが、“何をやるべきか”という人間を求めていたんだなぁ!」と。
10年01月06日
■今月の噛む話
◆定年のあと、早々に呆ける人はどんな人?
定年のあと、2,3年で呆けた人がいる。5年後ともなると、少なくないようだ。いちばん早かったのは、あるメーカーを常務で定年になった人で、半年後には呆けに見舞われたそうだ。
では一般に、どんな人がなりやすいのか、「呆けやすい人10ヵ条」が下のとおりである。
1. 生真面目で冗談を語ることは皆無に近い
2. 上司に従順で何事もハイハイと従う
3. 部下を叱ったり注意することはない
4. 会議では反対意見を唱えることはない
5. 既成の組織秩序に波風が立つのを嫌う
6. 橋下・東国原的な型破り人間を嫌う
7. 大きな声を出すことは滅多にない
8. 映画・芝居・ミュージカルに関心なし
9. 人脈の開拓意欲は弱く、受け身一辺倒
10. 創造的というより伝統と習慣を維持
これらの10ヵ条が、そっくり当てはまる人はいないと思うが、6ヵ条以上も該当するようなら、その危険性は、ぐ~んと高くなるらしい。
以上を概観して想像できるのは、こういう人は決まって“好奇心”が乏しいということだ。好奇心が乏しければ、ワクワクする感動心も乏しいもの。呆けても仕方ない。
◆好奇心の旺盛な人は、呆けないに違いない
ある役員が最近、定年になった。拾ってくれるところもなく、ましてや嘱託延長もなし。この人も、はや定年1年になる。上表の8割方が該当する人だ。
定年になるということは、「おはよう」といって朝から会話を交わす相手がいなくなることである。たっぷりと、あり余る時間をもて余す毎日を迎えることである。ということは、「いつまでに何を仕上げなくちゃ」というタイムリミットはないのだ。こういう毎日を送ることは、「考える」「解決策を研究する」「問題を分析する」「新しい企画を練る」というような頭脳作業に、縁がなくなることである。これは呆け症状の出ないほうが不思議であって、「使わざるものは退化する」という世界にズブズブと足を沈めるようになって当然である。
しかし最近一人だけ、非常に珍しく、呆けには無縁と思われる70歳の青年に出会った。
地方のホテルで午後10時頃、「もう寝よう」と言う私を、「いい女のいる店でもっと飲もう」と誘った。こんな人は生涯現役に違いない。
定年のあと、2,3年で呆けた人がいる。5年後ともなると、少なくないようだ。いちばん早かったのは、あるメーカーを常務で定年になった人で、半年後には呆けに見舞われたそうだ。
では一般に、どんな人がなりやすいのか、「呆けやすい人10ヵ条」が下のとおりである。
1. 生真面目で冗談を語ることは皆無に近い
2. 上司に従順で何事もハイハイと従う
3. 部下を叱ったり注意することはない
4. 会議では反対意見を唱えることはない
5. 既成の組織秩序に波風が立つのを嫌う
6. 橋下・東国原的な型破り人間を嫌う
7. 大きな声を出すことは滅多にない
8. 映画・芝居・ミュージカルに関心なし
9. 人脈の開拓意欲は弱く、受け身一辺倒
10. 創造的というより伝統と習慣を維持
これらの10ヵ条が、そっくり当てはまる人はいないと思うが、6ヵ条以上も該当するようなら、その危険性は、ぐ~んと高くなるらしい。
以上を概観して想像できるのは、こういう人は決まって“好奇心”が乏しいということだ。好奇心が乏しければ、ワクワクする感動心も乏しいもの。呆けても仕方ない。
◆好奇心の旺盛な人は、呆けないに違いない
ある役員が最近、定年になった。拾ってくれるところもなく、ましてや嘱託延長もなし。この人も、はや定年1年になる。上表の8割方が該当する人だ。
定年になるということは、「おはよう」といって朝から会話を交わす相手がいなくなることである。たっぷりと、あり余る時間をもて余す毎日を迎えることである。ということは、「いつまでに何を仕上げなくちゃ」というタイムリミットはないのだ。こういう毎日を送ることは、「考える」「解決策を研究する」「問題を分析する」「新しい企画を練る」というような頭脳作業に、縁がなくなることである。これは呆け症状の出ないほうが不思議であって、「使わざるものは退化する」という世界にズブズブと足を沈めるようになって当然である。
しかし最近一人だけ、非常に珍しく、呆けには無縁と思われる70歳の青年に出会った。
地方のホテルで午後10時頃、「もう寝よう」と言う私を、「いい女のいる店でもっと飲もう」と誘った。こんな人は生涯現役に違いない。
09年12月01日
■ちょっとした発想の違いが、行列するほどの客を呼ぶ
―クルリと脳の向きを変えれば、そこは繁栄の世界―
◆“利は元にあり”を実践するヒルベン社長
池袋で、350円の弁当(ヒルベン)を売る店がある。その売れ方は、並みの売れ方ではない。発売時刻の前から行列ができ、アッという間に売れてしまう。
うまい上に量も文句なし。そして何より安い。500円でも安い、と言いながら、“ヒルベン350“ の山は、たちまち消えてなくなる。どうして、こんなに安くできるのか?
汗だくで陣頭に立つ社長は、“何も秘訣はないが”と言いながら語る。
「うちはねえ。まず仕入れが真っ先なんだ。多くの弁当屋さんは、“まず何を作ろうか”というメニューづくりから始めるんじゃない?しかしうちは、何よりも先に市場に飛ぶ。
そして、安い食材を仕入れるんだ。野菜類なんか、一日一日相場が大きく変わるからねえ。
こうやって仕入れた食材を前にして、そこでメニューを考えるんだ。
メニューから考えたんじゃ、安い食材の仕入れはムリだろう。
ほら、昔から“利は元にあり”と言うじゃないか・・」
雑駁(ざっぱく)なような親方の言葉だが、斬新な考え方や着眼点が煮詰まっている。
☆ ☆ ☆
成長とか繁栄という、前進経営から見放されたような経営者の多くに共通するのは、販売には力を入れるが、仕入れとか原価管理に力を入れることを忘れているようだ。
前方にはカッと目を見開くが、後ろにはまるで神経を注ごうとしない。
そういう見方、考え方に気付くことは、発想の転換につながる。
◆“利は元にあり”を実践するヒルベン社長
池袋で、350円の弁当(ヒルベン)を売る店がある。その売れ方は、並みの売れ方ではない。発売時刻の前から行列ができ、アッという間に売れてしまう。
うまい上に量も文句なし。そして何より安い。500円でも安い、と言いながら、“ヒルベン350“ の山は、たちまち消えてなくなる。どうして、こんなに安くできるのか?
汗だくで陣頭に立つ社長は、“何も秘訣はないが”と言いながら語る。
「うちはねえ。まず仕入れが真っ先なんだ。多くの弁当屋さんは、“まず何を作ろうか”というメニューづくりから始めるんじゃない?しかしうちは、何よりも先に市場に飛ぶ。
そして、安い食材を仕入れるんだ。野菜類なんか、一日一日相場が大きく変わるからねえ。
こうやって仕入れた食材を前にして、そこでメニューを考えるんだ。
メニューから考えたんじゃ、安い食材の仕入れはムリだろう。
ほら、昔から“利は元にあり”と言うじゃないか・・」
雑駁(ざっぱく)なような親方の言葉だが、斬新な考え方や着眼点が煮詰まっている。
☆ ☆ ☆
成長とか繁栄という、前進経営から見放されたような経営者の多くに共通するのは、販売には力を入れるが、仕入れとか原価管理に力を入れることを忘れているようだ。
前方にはカッと目を見開くが、後ろにはまるで神経を注ごうとしない。
そういう見方、考え方に気付くことは、発想の転換につながる。
09年11月02日
■今月の噛む話
◆㈱龍角散の元社長・藤井康男さんは故人だが(08年7月没)、『経営の心得帖』(大和出版)という著書を書き残された。その本で、「毎日同じコースを通り、同じ時間に出社して、同じ机に座り、同じような仕事をやって一日を終えるような状態が続くと、どうしても考え方がパターン化する。
その上同業の人や、似たような年代の人とばかり付き合っていると、昔話でもなんでも違和感なく通じ合うし、毎度似たような話題になってしまう。ところがこういう習慣が、自分が時代感覚とズレていることに、さっぱり気付かないようにさせてしまう・・・」と。
ところでモーパッサン(イギリスの作家、1850~1893)といえば、代表作『女の一生』で有名だが、『水の上』という本も書いている。そこに、彼はこう書いている。「毎日、毎週、毎月、毎季節、毎年、違ったところは少しもない。同じ時間に出勤し、同じ時間に昼めしを食べ、同じ時刻に退ける。それが20歳から60歳まで続くのだ。その間、特筆大書すべきことは、4つしかない・・・」
自分では、創造人間と思っていても、じつはルーチン・ロボット化しているというのだ。
人は工夫次第でいくらでも変化を求めることができる。私は豊かな人脈を作ることをお奨めする。
◆違和感を超え、広げてこそ“本物の人脈”
どの病院でも例外なく男性患者の“院内引きこもり”が多いという。女性の入院患者の病室前を通ってみると、こちらは多くのベッド周りの仕切りカーテンを広げ、「退院したら遊びにおいでよ」などと、お互いが病室内をオープンな雰囲気で融和して、じつに明るいコミュニティーの場としているのだ。
男性の病室はどうか。ほとんどの人がベッド周りのカーテンは閉じたまま。あのベッドの中で、男性たちは一体何をしているのだろうか。みんな決まったように文庫本を読んでいるという。新幹線でも、中高年の旅行グループが多いが決まって女性たちである。男性たちはほとんどいない。違和感のない仲間とだけ付き合う経験が続くと、違和感のある人との交流は、抵抗があるのだろうか。
それが、“院内引きこもり”になるのだろうか。
よく“人脈”と言われるが、仕事がらみの“社脈”を、自分の人脈と錯覚している人が多いような気がする。気をつけたいものだ。
その上同業の人や、似たような年代の人とばかり付き合っていると、昔話でもなんでも違和感なく通じ合うし、毎度似たような話題になってしまう。ところがこういう習慣が、自分が時代感覚とズレていることに、さっぱり気付かないようにさせてしまう・・・」と。
ところでモーパッサン(イギリスの作家、1850~1893)といえば、代表作『女の一生』で有名だが、『水の上』という本も書いている。そこに、彼はこう書いている。「毎日、毎週、毎月、毎季節、毎年、違ったところは少しもない。同じ時間に出勤し、同じ時間に昼めしを食べ、同じ時刻に退ける。それが20歳から60歳まで続くのだ。その間、特筆大書すべきことは、4つしかない・・・」
自分では、創造人間と思っていても、じつはルーチン・ロボット化しているというのだ。
人は工夫次第でいくらでも変化を求めることができる。私は豊かな人脈を作ることをお奨めする。
◆違和感を超え、広げてこそ“本物の人脈”
どの病院でも例外なく男性患者の“院内引きこもり”が多いという。女性の入院患者の病室前を通ってみると、こちらは多くのベッド周りの仕切りカーテンを広げ、「退院したら遊びにおいでよ」などと、お互いが病室内をオープンな雰囲気で融和して、じつに明るいコミュニティーの場としているのだ。
男性の病室はどうか。ほとんどの人がベッド周りのカーテンは閉じたまま。あのベッドの中で、男性たちは一体何をしているのだろうか。みんな決まったように文庫本を読んでいるという。新幹線でも、中高年の旅行グループが多いが決まって女性たちである。男性たちはほとんどいない。違和感のない仲間とだけ付き合う経験が続くと、違和感のある人との交流は、抵抗があるのだろうか。
それが、“院内引きこもり”になるのだろうか。
よく“人脈”と言われるが、仕事がらみの“社脈”を、自分の人脈と錯覚している人が多いような気がする。気をつけたいものだ。




