「世界の女たちの首を、真珠で締めてご覧に入れます」と、明治天皇に大見得を切った、ミキモトパールの開発者・御木本幸吉が、長年の苦労と努力で真円の真珠づくりに成功した。

 その幸吉は、不況の暗雲が覆う昭和初期のある日、神戸商業会議所(現商工会議所)の前庭で、約36貫(13キロ)の規格外れの真珠を焼き捨てている。

 規格外れとはいえ、現金化して不況乗り切りを考えていた業者への警告だったが、焼却処分と

いう思い切ったパフォーマンスには、関係者も一般市民も度肝を抜かれた。粗製品とはいえ二流品としてなら値の通る製品だった。「勿体ない!」と思う人も多かった。

 多くの現金を燃やすに等しいものだった。

 新聞記者たちはこぞって、写真入りで記事を目玉にした。

 この記事をきっかけにして、「やはりミキモトは一流品」という噂が広がり、“世界の女たちの首を、真珠で締めてご覧に入れます”という世界戦略は、さらにはずみをつけた。

 のちに幸吉は、親しい友人に打ち明けている。

 「あれは広告費と思えば、安いものだった」

 実は、幸吉は、現代でいう「パブリシティ」(広告ではないが、新聞記事になり広告効果となること)を考えていたのである。

 パブリシティの“パの字”もない頃、現代のパブリシティを考えていたからすごい。