●小事こそ大事なり

 扇谷正造という人がいた。「週刊朝日」の購買部数を飛躍的に伸ばした、名編集長として有名な故人である。売ることだけで有名なのではない。入社以来のエピソードに事欠かない。

 

 学卒の新米の頃、川端康成への執筆依頼の仕事が来た。新米泣かせの作家として有名だ。

 ニコリともせず、笑顔を見たことがかつてない。愛想がない。冗談が通じない相手だ。

 

 この人には「伊豆の踊り子」という作品がある。取材場所は伊豆の宿。そこで「伊豆の踊り子」を再読すると、杉木立に雨が斜めに降りかかる場面が出てくる。この場面を頭に入れて。扇谷さん、一計を案じて、いざ訪問である。

 

 風評は事実だった。何の愛想もない。そこで即製の挨拶。

 「じつは、先生をお訪ねするために、杉木立の中を抜けて参りましたが、ちょうど雨雲のせいで、驟雨にたたられました。そのときちょうど先生がお書きになった“伊豆の踊り子”の場面を思い出しまして・・」

 すると扇谷さんによると、先生の頬が薄い紅をさしたように、ほんのり赤くなったそうだ。

 もちろん本命の依頼も、成功したという。

 

 

 一方、別の人の話であるが、その人が、求人で各学校を回っていたが、何人かの先生とは生涯の付き合いにいたったそうである。

 たとえば学校に求人依頼の電話を入れる。すると相手の進路指導の先生は言う。「じゃあ、履歴書を送るから

選んでくださいよ」という調子で、いくつかの学校に電話をかけると、あっという間に定員を満たしてしまう。

 だから人不足時代でも、募集定員を割ったことはない。

 

 その秘訣は何かというと、例えばこんなこと。

 

 先生が今度は大阪に行くという。

 すると駅までお見送りしたその人が、「先生、これお邪魔になりますが・・」と言い、手渡しするのは、いつも崎陽軒の弁当に週刊誌数冊である。こういう気配りが先生にとっては嬉しかったに違いない。

 

 

 社会構造の変化が、より細かに管理社会化すると、こういう知恵を発揮する場所が、より少なくなるが、それでも本人次第ということはできよう。

 

 

●出迎え三歩、見送り七歩

 「出迎え三歩、見送り七歩」という言葉がある。料亭などで、しばしば経験する。

 お帰りになる客様を必ず、門の外やエレベーターの乗り場までお見送りする、そういう心配りのことだ。

 「出迎え三歩、見送り七歩」いい言葉でしょう。どうぞ実行してみて下さい。