高遠城址とコヒガンザクラ

高遠は代々諏訪神社の領地で、戦国時代には諏訪氏一族の高遠氏が統治していたところへ、武田信玄が上伊那へ侵攻し、高遠頼継は甲斐へ送られ斬死したといわれています。

その跡に武田信玄の南信州への侵略拠点として、秋山信友に築かせた難攻不落の城だそうですが、

1582年(天正10年)、城主・仁科盛信(武田信玄の5男)の時織田信忠(信長の嫡男)に攻められて落城するところからはじまる、池波正太郎の小説「真田太平記」が印象深く、4月の桜の時期に行こうと思ってチャレンジしました。

始めて来た年は早すぎて、温風機を使って、1本咲かせた、絵島囲み屋敷前駐車場の桜を見ただけに終わって、残念に思い、何度かチャレンジしたのですが仕事で時間繰がうまくいかず、60歳を過ぎて、あと何回桜が見られるかわからないので、昨年は、仕事を休んで、雨の中を行ったのですが、桜は終わっていました。

今年はネットで桜の開花情報を見ながら行ってきました。大成功

写真で見る、タカトオコヒガンザクラは明治8年頃から植え始め、現在では約1500本もある、と書いてあり、ソメイヨシノに比べてやや小ぶりで赤みの濃い花のを、自分の目で見てみたい。

高遠閣

北ゲートから入ると、まず左手に大きな建物が見えます。高遠閣は遠くからも目立つ赤い屋根の建物で、観光客の休息所として建てられました。登録有形文化財登録されているそうです。入園観覧券(500円)を購入
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入口 高遠閣の脇に入り口の門があります
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太鼓櫓   藩政時代、時報に使われていた太鼓櫓。毎偶数時に時を知らせていました

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絵島囲み屋敷

徳川六代将軍家宣の時代、江戸城大奥に仕えて権勢のあった絵島は役者生島新五郎との恋を問われて高遠へ遠流され、この屋敷で28年もの間囚われの身として生涯を過ごしました。現在の建物は、当時の見取り図を元に昭和42年高遠湖畔に復元されたものです。(歴史博物館内)

上から見下ろすだけにして、勝間の枝垂れ桜を見に向かいます。

 


高遠湖(高遠ダム)
 
 高遠ダムの建設によって生まれた湖で、城跡公園から見る高遠湖は緑色が桜と対比して、写真に出ない水の色合いでした。

ボートやカヌーも有るようです。

向こう岸の、高遠さくらホテル の先に

勝間の枝垂れ桜

枝垂れ桜が小さく見えます、歩いて行ってしまいました。

近くまで行くと「勝間薬師堂」 と看板がありました。

 坂道を登ると、沢山の人だかりです。

リックを背負い、ハイキングのような姿で、大きなカメラに三脚を付けたカメラマン(女性もいます)が、のんびり腰をおろして、うっとり眺めていました。

 1週間ほど早い感じで、来年は、高遠城の桜の最盛期から1週間ほど遅らせて、勝間の桜をめがけて来たいと思いました。


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