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       読売グループ創始者 正力松太郎氏
        頭脳活用型、掛持ち症、自信家
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    持ち前の頭の良さは、若いときには裏目に出て苦労することも多い
    しかし、その頭の良さは、年齢を重ねると共に研ぎ澄まされ、
    湧き出るアイデアに惹かれ、人望が集まることとなる
 
 ▲ 「無謀」を「奇跡」に変える力
 
 正力松太郎氏は、たたき上げの警察官僚でした。
 入職以来目覚しい功績でスピード出世したものの、
 昭和天皇の皇太子時代におきた狙撃事件の責任をとらされ、
 懲戒免官になります。
 
 今までろくに筆を執ったことが無い正力氏が
 無謀にも瀕死状態であった読売新聞の経営権を買い取り、
 日本有数の新聞会社に育て上げることになったのです。
 
 経営権を買い取るにも満足に資金がなかった彼は、
 元上司、同級生やその親戚友人からかき集めました。
 それでも毎月出る赤字の穴埋めに間にあわず、
 起死回生に挑んだ大イベント、
 国技館納涼博覧会の資金の工面には、
 警察官僚時代からの人脈と政治力を駆使しました。
 
 赤字経営から脱却する原動力になった、
 「世紀の囲碁対決」を実現できたのは、
 警察官僚時代の人脈であったし、
 ボクシングチャンピオンを招致し、
 また多摩川公園で菊人形展を企画したときも、
 大学時代の人脈を頼りにやっとこぎつけたのでした。
 
 自らが持つ人脈を最大限に生かし、資金、才能までも自分の見方に
 することが出来た人物、それが正力氏であったのです。
 
 ▲ 「自信」は怖いもの知らず
 
 彼は知りつくしていました、
 「大衆が珍しいものに競って飛びつく」ということ。
 警察官僚時代に、捜査や取締りをする際に必要なのは、
 大衆の利害と関心の方向なのです。
 それを先回りして察知し、
 暴発するのを防ぐのが彼の役割だったからです。
 
 そんな正力氏が実力を見せたのは、
 新聞に初めてラジオ版を作ったことです。
 ラジオ放送が開始されて4ヶ月後、
 紙の色をピンク色にした見開き2面のラジオ版をスタートさせたのです。
 他の新聞社は自分たちの敵になることを敬遠して、
 ラジオ番組を一切載せていませんでした。
 
 新聞業界の常識をまったく知らないよそ者の強みだったのでした。
 見事に狙いは的中し、一気に1万部以上発行部数が増え、
 その後もラジオの普及とともに益々勢いを増していきました。
 
 また、通信網や販売網が遅れていた読売新聞が、
 大手新聞社に対抗していくために正力氏が考えたのは、
 イベントを企画してそれを新聞に載せることでした。
 それは資金力の無い、読売新聞にとって最もお金のかからない
 拡販の方法だったのです。
 
 「イベントを立ち上げて読者の興味を引き、
 それを見込んだスポンサーからの広告収入を狙う」
 大衆が望むイベントさえ企画できれば、新規購読者が獲得でき、
 同時にスポンサーからの広告収入が入る、
 さらにはイベント自体の興行収入も期待できる。
 
 正力氏が「水雷作戦」と名付けたこの作戦は、三流新聞社が一流新聞社の
 「戦艦」に対抗するため、大衆にむけた情報と言うものを最大限に生かした
 戦略だったのです。
 
 
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