宮崎交通 創業者 岩切章太郎氏

 
  
 地域尽くし経営、好機待受け型
 
  
 地域に貢献する活動と経営とは相容れないものでしょうか。
「経営=金儲け」「公共=低額」というステレオタイプ的な考え方では、
両方ともが上手く運ばないでしょう。

地域貢献と経営を見事に両立させて、
故郷に観光ブームをもたらしたのです。

 

   
 

地元産業の不振、テーマパークの経営破たん、
前知事の汚職事件…
暗い話題しかなかった宮崎県ですが、
明るい(笑)新知事の就任以降、
広告塔としての役割は上々といったところです。

今から遡ること半世紀以上も前、
宮崎に観光ブームをもたらし、
故郷に貢献することに力を尽くしたのです。
新知事は「そのまんま」な心意気を受け継ぎ、
宮崎を再興することが出来たらいいですね。

 
   

 

 

故郷に愛着をもち、「豊な自然や、美しい風景を
全国の人に知ってもらいたい」それが心からの願いでした。
大学卒業後に勤めた会社は、
なんと入社時に3年で辞めると決めていました。
退職後故郷に戻りすることは、「地元で働くことに徹する」
「自ら第一線で仕事をする」「新しいこと、行き詰った仕事する」ことでした。


31歳で宮崎に戻った岩切氏は、定期遊覧バスの会社を
設立して観光事業に乗り出します。
それと並行して、経営破綻した地元銀行の
債務整理に力を注ぐこととなります。


観光事業は順調であるけれども、
県外からの客足は一向に伸びずにいました。
思いあぐねる、ある時、海岸を南国風に
作り上げてはどうかと考えつきます。


まず手始めに、フェニックスの種をアメリカから輸入して、
日南海岸の堀切峠に、一本ずつ、
眺めと樹木の調和を考えながら植えていきました。
その後も、サボテン公園や、日南海岸の沿道修景、
花の植樹を次々に手がけ、宮崎に南国の風景を作り上げたのです。


彼が思い描いた夢は、そのようやく約30年後に形となります。
高度成長期を迎えた60年以降、観光旅行が身近なものとなり、
特に新婚旅行での人気は伊豆、南紀をしのぎ、
宮崎は圧倒的な人気を誇ったのです。
皇族の新婚旅行や皇太子夫妻が視察旅行に訪問されるといった
幸運もあり、そのブームは70年代まで続きました。


「目先だけのソロバン勘定では何も出来ない、
長い目で見てこそ、本当の観光施設ができる」
一企業の利益ではなく、地域全体の利益を考えたからこそ成し得た
大プロジェクト、彼の夢はとてつもない実を結んだのです。

  

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