「監査難民」とはあまり聞き慣れない言葉です。
会計士の間でも一般的に広く使われている訳ではありません。

監査上の意見の対立や監査リスクが高いクライアントに対し、監査する側である公認会
計士や監査法人から監査契約の辞退や解約をする場合があります。
ある監査人が監査契約を辞退ないし解約したクライアントの監査を安易に引き受けるこ
とは、後任者にとって非常に高い監査リスクを背負い込む結果にもなりかねません。
そのため、あっちでもこっちでも行く先々で監査を断られ、誰も監査を引き受ける者が
いなくなってしまいます。
法定で監査は義務付けられているが、誰も監査を引き受けようとしないクライアントが
「監査難民」です。

かくして、どこにも行き場所がなく、宙に浮いてしまい、流浪の旅が始まります。
その旅は、自分捜しの旅ではなく、時に自分にとって有利で都合の良い監査人を捜す旅
でもあり、いわゆる「オピニオン・ショッピング」の旅とも重なります。

カネボウの粉飾決算やライブドアの不正経理等々の不祥事の発生は、公認会計士ならび
に監査法人に対する社会的な信頼の低下、批判の増大ならびに責任追及の厳格化の嵐と
なっています。
そのこと自体は、結果として市場の番人としての役割を果たせなかった公認会計士なら
びに監査法人にとって、当然と云えば、当然のことです。
今はただ、謙虚に反省すべきを反省し、再発防止・信頼回復に最善を尽くすべき時です。

ただ、私が心配するのは、経済のグローバル化、IT化により経済取引は今後も複雑に
なる一方です。
それは、会計上も監査上も判断が困難な新たな未知の問題や、ボーダーラインあるいは
グレイゾーンの問題を次々に派生させることを意味します。

経済も企業も監査もそれぞれが生き物です。
監査リスクは増大することはあっても減少することはないでしょう。
監査リスクの増大は、裏を返せば監査の必要性の増大にもつながり、そこがまた悩まし
いところです。

公認会計士ならびに監査法人の監査責任は無限責任です。
ここまで重くかつ厳しくなった責任とのバランスを考えるなら、今後増えるかもしれな
い「監査難民」の救済は、監査人として「火中の栗」を拾う覚悟が必要です。
責任は無限、リスクは当然では少々一方的なようにも思えます。
誤解されると困りますが、責任負担はイヤだと云っているのではありません。
職業上負うべき適正な責任の限界についての議論もする必要があると考えるだけです。

また、監査不祥事の発生は、必ず経営トップが係わった不祥事でもあります。
経営者の一層の意識の改善なしにこの問題の真の解決策はあり得ないように思います。