●除夜の鐘はいくつ?

人間には多くの“煩悩”というものがあります。

欲望、怒り、執着、猜疑など、いろいろとあります。四苦八苦するほどあるが、これを算用数字に置き換えると、4×9=36と、8×9=72の合計で、108となります。

これは一説で、とにかく“山ほどある煩悩”という意味です。

正式には、打ち出しから107までを年内に打ち、最後の一つをボーンと響く、新春の時の合図とともに叩くのだそうです。つまり、最後の一つは両年に跨るように叩くのです。

最後の除夜の鐘を聞き終わると、「新年が来たんだなあ」という思いにかられます。

東京では、築地本願寺、大本山増上寺、善福寺、浅草寺ほか、茨城では笠間除夜の鐘ほか、栃木では佐野厄除け大師、日光山輪王寺ほか、群馬では水澤寺(水澤観世音)などがある。

●除夜の鐘にも苦情が舞い込む

ところが世間には、除夜の鐘も何のその、「鐘の音がうるさい」と寺に苦情を言ってくる人間もいるとか。風変わりな人もいる世の中になった。

東京の小金井市にある、100年以上の歴史を持つ「千手院」が当事者で、苦情が殺到してついに中止を決めたという。

静岡県の牧ノ原にある、450年以上の歴史を持つ「大澤寺」も、苦情で中止にしました、ということである。

こういう輩が、夏の風物詩である風鈴の音が「うるせえんだよ」と言うのであろう。

●生き方を自問する節目にする

正月という月を、自分の生き方を自問する時間に充てる人も多い。

たとえば女流作家の宇野千代さんは、95歳のときこう自著に書いている。

「ある女性が死んだが、押し入れを開けてみたら、経帷子(きょうかたびら)をはじめ死に装束一切に、棺のぐるりに巻く晒しの布まで揃えてあった。感心な人だと褒める人もいたが、私はそうは思わなかった。死ぬ用意をしても死にたいと思ったわけでもあるまい。最後の最後まで生きる気力を失くさなかったという証拠を見るほうが、私は好きである。死ぬ覚悟ができていた、褒めるのが日本人は好きだけど、そんなものは死ぬ瞬間でもできる」

ずっと以前に、平櫛田中(ひらくしでんちゅう)のことを紹介した。彫刻家で文化勲章の受賞者だ。(満107歳で死去した。岡山県出身)

90歳で健康診断を受けたら、「肉体は70歳の健康体です」と言われ、だったらあと30年は仕事ができると言い、向こう30年ぶんの素材を買い込んだという。

田中語録というものがある。紹介しておこう。

「不老、60や70は鼻垂れ小僧。男盛りは百から百から。わしもこれからこれから」

「今やらねばいつできる。わしがやらねば誰がやる」

いくつになっても、前へ前へと物事を考える。肉体は衰えても。思考エネルギーは燃え盛り一歩も停滞は許されない。

最後に、日野原重明先生の最近の語録を紹介しておく。

「人生とは、未知の自分に挑戦することです」