6月、嵐のように過密な税務調査スケジュールの中、日程をやり繰りして面接を行ないました。それは、6月末に退職する女性スタッフの補充のためです。退職までの残り1ヶ月以内に後任を捜さなければ、仕事の引き継ぎに支障がでる恐れもあるので、とにかく時間がありません。毎度のことながらの綱渡り経営です。足立のハローワークに求人票の提出に行くと、4月の年度替りのためなのか、多くの人でフロアーはごったがえしていました。求人コーナーはすいていたのですが、失業保険の給付手続のコーナーは、まるでちょっとした病院の待ち合い室のような雰囲気と雑多な人であふれていました。これも厳しい世相を反映しているのでしょうか。求人票提出時に、再雇用の年齢を63歳と記入していたら、4月1日からは64歳になったのでと係りの人に直され、一つ勉強しました。
 さて、求人は、学歴不問、経験不問、必要な免許資格不問、年齢不問、なんでも不問。但し、唯一の要望は、パソコン、インターネット知識があること、というものでしたが、想像以上に多くの応募がありました。これも不問効果でしょうか? まず、郵送されてきた履歴書から事前に書類選考して、面接する人を選び、本人に連絡して、面接日時の調整です。もし面接日の調整ができない人は、ご縁がないものとして除外。通常の面接では、直接本人と面談し、人物本位で採用の可否を判断するのですが、今回は、事前にパソコンを用意し、ExcelとWordを実際に使って作業してもらいました。制限時間は30分。
 当初の話しでは、Excel、Wordは一通りできます、いままでも仕事で普通に使っていたので大丈夫です、と皆一様に回答していたのですが、実際にやってもらうと人によって、そのスキルには大きな個人差がありました。人によってスキルに個人差があるなどということは、当り前といえば極めて当り前のことで、いまさら驚くには値しないことです。
 しかし、驚くには値しませんが、改めて「できる」「できない」ということは主観的な要素が大きいことなのだと思いました。何人かの人は、その程度のスキルで「できる」と言えるのか、私の分類では「できない」という分類に属する人でした。
 「できる」「できない」という言葉は、判断の統一基準がなく、人によって「できる」「できない」の線引に大きな差があることを考えさせられた経験でした。「できます」「大丈夫です」「一生懸命やっています」と何気なく日常的に使っているのですが、その言葉には主観的な要素が多く、使う人によって、聴く人によってその中身は皆バラバラなのだと思います。人を観ず、言葉だけを鵜呑みにして仕事を任せるのも危険です。同じ言葉でも人によって言葉の意味する中身は全然違うからです。あの人の「できる」はできない。あの人の「大丈夫」はあてにならない。あの人の「一生懸命」は結果がでない・・・・。