日本の創業経営者たちにも強い影響を与えた、アメリカの鉄鋼王アンドリュー・カーネギーは、幼少時代はよく人に仕え、成功してからは人をよく使った人である。
 そのA・カーネギーが、ペンシルベニア鉄道に、鉄の塊であるレールを、「なんとしてでも、売り込みたい」と熱望していたときのこと。もちろん先発の、強くて大きな競争企業がいる。手ごわい競争相手でもあった。
 そして、A・カーネギーは、プレゼンテーション(企画提案)をした。「レールをより早く運び入れるため、御社のレールの受け入れ場所に近いところに、御社専用の大きな工場を作り、御社が求めるレールを、御社が求める量だけ、御社が希望するときに、タイムリーに運び入れるようにします」と提案した。しかしこの程度の提案なら、競合メーカーもしていた。
 ところがA・カーネギーの提案には、つぎの提案が加えられ、個性的な提案になっていた。
 「……なおこの工場の名は、『J・エドガー・トムソン製鉄所』と命名する予定であります」
 なんとその工場の名は、肝心の、ペンシルベニア鉄道の社長の名前だったのである。
 結果はA・カーネギーの勝ち。厳しい売り込み競争に競り勝ちしたのである。相手はなぜ買ったのか。もはや説明は要らないでしょう。売り込み先の“トップの心”を見事に捉えたからである。
 ところでアメリカの教育家である、D・カーネギー(似てはいるが別人)が、このA・カーネギーのことを、このように書いている。
 「A・カーネギーは、鉄そのものに関しては、ほとんど何も知らなかった。しかし彼は、“鉄のプロたち”を集め、彼らの能力をフルに活用したところが非凡だった。」
 A・カーネギーの墓碑銘には、「私より優れた者を集めた者ここに眠る」と刻まれているのを見ても、そのへんの事情が理解できる。