●「自分がいなけりゃもっといい業績?」という謙虚な心

 課長も部長も、そして役員も非常に賢い人ほど、ときどき思うものらしい。

 「自分でなく別の者が部門長なら、担当部門の実績はもっといい成績かも?」

 こういう人のその後の生き方を見ていると、多くは創造的で建設的な生き方をしている。

 経営者ともなったらときどきは、こういう思いで自分を振り返る必要があるのではないか。

 社長ともなったら、なおさらのことである。

 「別な者が経営トップになったら、自分よりもっといい業績を出せるかも?」

 しかし現実には、「自分がトップでいるから、これだけの業績をあげている」と自負こそすれ、こんなに鋭敏に自分を客観的に見ることのできる人は、非常に少ない。

 東芝でひととき、Iという社長が経営の舵を握った時期がある。

 宿泊を要する出張があると、迎える出先の責任者は、I社長が泊まる部屋の電化製品を、オール東芝製に入れ替えしてまで迎えた。社長は、「おお、この旅館も東芝製か!」とご満悦だったという。物事の表面しか見えなかった社長だったようである。

 そして、電化製品でI社長のご機嫌をとるようなイエスマンが、高く評価もされたようだ。

 しかし、こんないい加減な経営が、業績に影を落とさないわけがない。

 やがて業績の低迷はもちろん、いろんな問題が表面化するや、やがて三顧之礼を以て迎えられた人が、当時IHIの社長だった土光敏夫さんである。

 この土光体制で、それまでの悪しき経営態勢を一掃し、業績は回復基調に乗ったのである。

 このように、大資本による会社なら、株式会社の論理で経営トップの首をすげかえもできるが、資本家イコール経営者という中小企業の場合は、ほとんど不可能である。

 「あのションベン垂れのバカ息子が、とうとう社長になったか」

 こんな陰口が社内に蔓延しても、首のすげかえは、ほとんど不可能なのだ。

●去年の社長がそのまま社長なら、社長の座を明け渡します

 「経営者のアタマは、清流のようにつねに時流をとらえ、新鮮な頭脳でなければならない。過去の価値観だけで生きようとすれば、必ず経営にきしみが生じる」

 いつもこう言い続けた、Kさんという創業社長のことを紹介します。

 このK社長は毎年1週間ほど、会社を留守にする。行く先は関係役員以外だれも知らない。

 なんとK社長は、経営コンサルタント、弁護士、エコノミストという数名の社外ブレーンと一緒に、瀬戸内海の小豆島の旅館に缶詰めになる。正しくは、自分で自分を缶詰めにする。

 そこでは毎日5時間ほど、「自社を囲む環境の変化(プラス&マイナス)」、「経営環境の変化に対して打つべき先手」、「幹部人事に対して打つべき先手」、「これからの社内合理化」というようなテーマを自分に課して、ミーティング式で勉強をするのである。

 酒類は一切ご法度、全日が禁酒なのである。

 旅館とはいえ、ここはじつは禅寺なのである。

 朝食は、一汁一菜にやっと多少のおかずを添えてもらった程度。

 ということでこのK社長は、「去年の自分が、そのまま今年の社長だったら、指摘してください。直ちに社長の座を開け渡します・・」というのが口癖だった。

 このK社長はもう故人だ。しかし会社は、二部上場企業として躍進してきた。

 後継の社長(長男)も、小豆島の勉強は続けているそうである。