●生きる意欲に燃え続ける人

 平櫛田中(ひらくしでんちゅう)という彫刻家で文化勲章受章者がいる。

 この平櫛田中という人は、90歳で文化勲章を受章したが、100歳を迎え健康診断をしたら、「先生の体は、まだ70歳の状態です」という結果を知らされたという。

 すると平櫛先生は、「まだ30年は仕事ができるな」と考え、彫刻の素材として向こう30年ぶんの材木を買い込んだという。すごい。

 この逸話から、生きる執念であり仕事に打ち込む情熱を、我々は学びたいものだ。

 むかしから言われるが、「もう○歳になったら」と考えるか、「まだ○歳だ」と考えるかの違いは、年齢が進むにつれて両者のひらきは、どんどん大きくなる。

 湘南の夏の海岸で、83歳にしてライフガード(水難救助活動)を仕事とする人がいる。

 一方北の妙高山に目を向けると、やはり83歳でスキーのトレーナーをやる人もいる。

 高齢でシャキッとした現役として活躍している人といえば、なんといっても聖路加国際病院の理事長であり、現役医師でもある日野原重明先生であろう。

 この日野原先生の著書(「100歳になるための100の方法」)のまえがきにこう書いてある。

 「2003年10月4日に、満92歳の誕生日を迎えました。私は以前日経新聞の<私の履歴書>欄に、80歳までの足跡を書いたことがありますが、80歳を過ぎてからのほうが、むしろ、より変化に富んだ新しいことに挑戦したという思いが強い」

 たとえば先生は90歳を目前にして、75歳以上の人に声をかけ「新老人の会」を組織し、「75歳から新しいことを創(はじ)めよう」と、情熱的に提唱されている。

 みずからも88歳のとき「葉っぱのフレディ」を脚色し、同時に「フレディから学んだこと」という単行本も出版されている。さらには、90歳を目前にして、聖路加国際看護大学の学生とともに、これの音楽劇に出演し、その上、演出も振り付けまでもやってしまった。

 この日野原先生は、本に書いていらっしゃる。「まだ私には加齢が身につかず 若い人と同じように

生きていこうとする 意欲に燃えていることを 素直に申し上げたい」

 

●加齢に飲まれず「華齢」に生きよ

 松下電器(現パナソニック)を創業した松下幸之助さんが、90代半ばの頃、国家的な計画を発表したことがある。この計画を目にした某識者が、何かに書いていた。

 「この計画を実現するとしたら、松下さんが130歳頃まで生きる必要がある。生きる執念であり、簡単には現人生をあきらめない目標意識に教えられる・・」

 目標のある人は健康である限り、皮膚の張りは失っても、心の張りはピンとして、青年の志とパッションを持ち続けるものである。

 経営組織も同様で、経営者が正しくより高い目標を掲げ、その目標達成に挑む組織は、溌剌とした躍動がある。目標を見失い、目標が漠然としたとき組織は惰性に陥る。

 簡単に加齢に染まる人は、真面目ではあるが生きる迫力を損なっているのではないか。

 日野原先生は、「まだ私には加齢が身につかず・・」と書いておられる。

 加齢という言葉は、「華齢」という言葉に読み換えて、2015年を躍進したいものだ。