◆経営者が得意になっているときが、いちばん危ない
 昭和40年代は、経済の追い風に乗って、ぐんぐん売上高を伸ばした会社が、全国にいっぱいあった。タレントの宮尾すすむは、そういう社長たちを取材する現場を、「宮尾すすむの、ああ日本の社長」という番組を通じて全国に放映し、長寿番組として人気を博したものだ。知っている人も多いと思う。
 このTV番組は、1999年の8月まで続いたが、長寿番組だっただけに後半の番組で宮尾が、過去に取材した社長たちのことを語っていたのを覚えている。
 「以前に取材した会社の、半分ほどの社長さんには、もうお目にかかれません・・」
 要するに取材後10年も過ぎると、経営の浮沈は激しく、あの晴れやかだった社長たちの顔は、はや競争市場から消えていたというのだ。
 そういえば、自動車の営業マンから身を興し、現在の従業員約4千800名、年商ほぼ2千900億円という伊藤園の創業者、本庄正則(故人)さんは、語っている。
 「私の経験則ですが、経営破綻の原因は案外、経営者が得意になっているときに気を抜いて、下り坂を転げ落ちることが多いですね・・」
 まさに指摘のとおりと、実感してやまない。
 ある自動車部品のメーカーS社の場合。向こう6ヶ月間、残業を続けても処理し切れないほどの受注残に、社長は株(投機)に浮かれ、専務は贅沢な外車に浮かれていた。
 ある人が専務に、吉川英治の色紙の言葉を逆引用し、「今は春でも、必ず冬は来るよ」と警告したそうだ。返事は、「あなたは心配性ですよ」だったが、今この会社は存在しない。

◆自殺未遂の社長は、「外部の意見耳に入らず」と語った
 ある会社は好況のとき、女性の鉄筋工や左官を現場に配置し、テレビでも紹介され、その評判は大手ゼネコンも知ることになり、それが受注につながりS社長はウハウハになった。
 売上高はうなぎ上り、自分はちょっとした有名人。しかしS社長は会社の業績の急降下で破綻し、自殺(未遂)事件まで起こした。のちにS社長は語った。
 「慢心の最中は、どんな意見も耳が受けつけないんです。そして、豪華なヨットを買ったりして贅沢をしました。もちろんワンマンでした・・」
 ある住宅会社の社長も、ウハウハの時期を満喫した。
 乗用車のクラウンは、イギリスの名車ジャガーにかわり、椅子は総革張りにかえられ、高級クラブのボトルは、レミーマルタンのVSOPになった。
 しかし数年後には、会社は傾き、社長はクモ膜下出血で半身不随になり、社長も会社も空中分解したまま、視界から消えた。
 「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。よどみに浮かぶ泡沫(うたかた)は、かつ消え、かつ結びて、久しく留まるためしなし。世の中にある人とすみかとまた、かくの如し」
 方丈記(鴨長明)の一節は、経営者得意の時の慢心に、しっかり釘をさしているようだ。