産経新聞に「父たちの満州」と題する連載が始まっている。1931(昭和6)年9月18日に起きた満州事変は対ソ戦の戦略拠点・資源供給地の確保を目的とした軍事行動であった。それは、駐留関東軍石原完爾参謀による「五族協和」「八紘一宇」の理想国家満州国の建国だったのかもしれない。


(満州の悲劇)

 当時、満州には150万人の日本人が移住した。私の祖父・祖母もその中のいた。関東軍50万人の精鋭に守られていた理想郷は太平洋戦争開戦により、精鋭部隊は次々と南方に転出し、代わりに叔父たち壮年による現地召集の数だけで戦闘力のない軍隊しか残っていなかった。ポツダム宣告を受け入れた後に、ソ連軍はヨーロッパ歴戦の軍隊をシベリア鉄道で移動させ、一週間で満州国を制圧した。


(父たちの満州は・・)

 昭和20年8月15日からは、高級官僚・軍人とその家族を乗せた列車は運行されたが、奥地にいた開拓民は徒歩で逃避行でしか選択の道がなかった。一般の日本人も同様の運命にあった。中心都市奉天に向けて、全身泥だらけの「黒い集団」の列ができ、学校等の収容施設に入った。しかし、食糧不足と伝染病で次々と倒れ、その上にソ連兵の強奪・暴行を受け、犠牲者の荼毘の煙が消えることはなかった私の祖母が話してくれた。


(満州事変からの政治は・・・)

 軍の暴走を押さえるべく、二大政党政友会と民政党に、当時のイギリス挙国一致内閣に見習い「協力内閣構想」の具体化の動きがあったが成立せず、去年イタリアで組閣されたような非政党内閣ができたこともあったが、二大政党の提携には至らず、大政翼賛会による軍指導政治で敗戦となった。二大政党が協力すべき時に協力関係ができなかった代償は、国民の多くの尊い命を失う結果となってしまった。


(我々は歴史に学ぶべき)

 歴史に「もし」という言葉はないが、80年前の失敗を繰り返す愚かさだけは勘弁して欲しい。今隣国中国では、先軍政治で経済力を背景に軍拡が進んでいる。日本とは尖閣諸島を中国の「核心的利益」として領有を主張し、近々には空母機動艦隊で恫喝することは明らかである。さらに、中国のGPS衛星「北斗」打ち上げが進み、近海だけでなく、中部太平洋までの作戦行動を可能とし、ミサイルの正確性は飛躍的に向上している。80年前のソ連軍の驚異とは格段の差がある。国民を守ることへの確固たる信念を政治家に持って頂かなければ、先の敗戦では帰るべき国土があったが、今度同じ失敗をすれば、世界中に彷徨う「黒い集団」になる。どうか政治家は目を覚まして頂き、政友党・民政党とは違い、国難に共に対処して頂きたい。 




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