映画はほとんど見ていない自分ですが、84才の視力が弱くなった父親が「硫黄島からの手紙」を見たいとの意向を受けて、夫婦と三人で映画館に出かけました。監督はクリント・イーストウド、長野市出身の栗林忠道中将は渡辺健、主人公はパン屋の一兵卒とのことでありました。
(矢弾尽き果て散るぞ悲しき・・・)
 日米の戦争において、圧倒的な物量の差がありながら、互角に戦えた戦場が硫黄島であります。このことは栗林中将の在米武官時代に身につけた現実主義の指導力の確かさを物語っております。映画では守備隊司令部内部の反目として、東京の大本営が見捨てるはずがないと信じる参謀たちとマリアナ沖海戦で海軍力が消滅した報告により手元にある兵力で戦うのみと鉄の意思を持つ司令官のドラマ構成であり、悲しいものがありました。
 硫黄島の戦い:ウィキペディア(フリー百科事典)  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A1%AB%E9%BB%84%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
(ルーズベルトに与うる書)
 海軍の司令官であった市丸利之助海軍少将の残したアメリカ大統領宛の書簡「ルーズベルトに与うる書」が有名ですが、当時日本軍の将校が考えていた気持ちを理解するに役立ちます。現在のアメリカ大統領が抱える苦悩を言い当てていることに市丸少将の見識の高さを感じます。
(非力な武器)
 武器弾薬の補給を大本営に打電して、落下傘で投下された梱包箱の中身は「雷管と竹槍」、1932年ロス・オリンピックの馬術大障害の金メダリスト西竹一中佐の移動トーチカとしてしか役立たない23両の戦車、ロケット砲と言えば格好いいのですが艦砲の砲弾活用(?)の噴進砲などが武器であっとのこと。
(硫黄島戦がアメリカ世論に与えた影響)
 アメリカ世論は現在も、兵隊の損耗を一番嫌う。硫黄島での日本軍の死傷者数と同等の犠牲は論外で、日本本土の完全占領を嫌う気運が高まり、休戦(日本では終戦)へと導くこととなりました。硫黄島の激戦で亡くなった2万人近い日本兵は栗林中将の願っていた未来の日本を背負う子供達の命がつながった尊い犠牲でありました。
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