自分がイメージしていた相続とは、家督を引き継ぎ次世代に引き継がせ、祭事を執りおこなうのが長子の役目であるとするものでした。最近はそうとも言えなくなっている。


(これまでの家族制度)

 家族の生活基盤が農地であり、その労働力は家族であった。一生懸命に働いても食べられるがせいぜい、家の新築は勤勉な三代の努力があって初めて出来るもので、労働力の中心であった長子が家長となって来ました。一方、反収量の悪い山間地では、長子は丁稚奉公に出、親元に送金し、兄弟の面倒を見、貧しい家の相続は末子相続が行われていました。いずれも家の存続を御仏壇に願い時を重ねてきました。


(半世紀前から変わった)

 日本の経済発展と進駐軍による民法改正により、財産・祭司を引き継ぐのは長子でなく、相続人平等が法の定めとなりました。これまでの家族労働で家が成り立ち、質素倹約が尊ばれていた日本人に、変化が現れた。相続とは財産を分配することとなり、「たわけ」のことわざは消え「ごね得」とする争族が取り沙汰される様になった。これも、国債残高1千兆円となっても平気でいる国の有り様からして、親が子に財産を残すことを意とせず借金を残す者も居い、僅かに残って財産の取り合いが起きても当然なのかもしれないが、これでは日本人の美徳がなくなってしまう。


(遺言書作成を社会運動と考える)

 世界の金持ちから普通の国に変わり始めている日本で、お金で愛情を感じさせる余裕はない。旧民法世代で老後は子供と考えてきた老いた親の介護と、生活力が十分でない子への面倒を見なければならない時代の変化での連結環の役割を担う世代は今一度「家族」「家の継承」について考え直さなければならない。そこで、家族に対する愛情の証、ラブレターを残す遺言書作成し、家族の絆を確かなものにしては如何か。




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