歴史好きの私は「何故国家が消滅するのか」に関心があります。軍事大国ローマ帝国、海洋都市国家フェニキア(シリア・レバノン)には特に興味を持っています。先日、日本経済新聞電子版(2011/9/30)田中陽編集委員「パンとサーカスがはびこる「日本の自殺」」の記事を読み、強く感銘をうけました。


(田中陽編集委員の記事)

 ユーロ危機だけでなく、中東の民主化運動などの国や地域を見ていたら、30年以上前に発表されたある論文のことを思い出した。1975年(昭和50年)2月、雑誌「文芸春秋」に載った「日本の自殺」だ。「グループ一九八四年」という政治、経済、社会学などを専攻する学者集団によって書かれたものだ。
 このなかで記憶の中に鮮明に残っている箇所がある。人類約6000年の歴史の中で21の文明(マヤ、シリア、ヒッタイト、エジプト、ギリシャ、ローマなど)が発生し、成長して、あるものはやがて脱落、消滅していったという部分だ。文明が消え去るのは外敵によって滅ぼされたのではなく、内部崩壊によってであると。「日本の自殺」では特にギリシャ・ローマの没落に焦点を当てて分析・検討を加えている。まさに今回のユーロ危機の舞台だ。
 没落の理由を一言で表現するならこうなる。「パンとサーカスで滅びた」。広大な領土と奴隷によって豊かな暮らしが出来たローマの市民は、次第に働かなくなり、政治家のところに行き、「パンをよこせ、食料をよこせ」と要求する。大衆迎合的な政治家はパンを与えた。働かなくなったローマの人たちは暇をもてあまし、円形競技場でサーカスを見るようになった。アテネでは市民が「サーカスを見てやるのだから、見物料をよこせ」と、本末転倒な要求まであったという。
 論文のエピローグ「歴史の教訓」として(1)国民が自らのエゴを自制することを忘れたこと(2)自らの力で解決するという自立の精神と気概を失うこと(3)エリート(政治家、学者、産業人、労働運動家など)が大衆迎合主義に走ること(4)年上の世代がいたずらに年下の世代にこびへつらうこと(5)幸福を物や金だけではかること、を挙げた。


(地方で思うこと)

 長野県の山中で飛行場にもなると思える立派な道路があります。地元住民の要求で整備された広域農道であります。時に前後に一台の車に出会わないことがあり、国税投下の費用対効果に疑問を感じます。


(子供手当てに思う)

 「子供は国家の子」は消滅した社会主義国家の政策と思いきや、違うらしい。長野県には村人の浄財で建てられた明治時代の洋風小学校が残っています。それは、文明開化の時代、村人が子ども達の幸せを願われたものであります。子供は両親を始めとする周囲の人たちの愛情に触れ情感豊かに育つのではないか、教育は学校の責任としていいのか。


(おねだりでは)

 権利の行使は義務の履行が前提。自分の生活は働いて得た収入で成り立つもの。国が加重に弱者救済を行い、返って自立心を失い依頼心を強くしていないか。私の祖母は13年間病床にあったが、その口癖は「働けない自分が情けない」とリュウマチで曲がった指先で雑巾を作っていた。いま、明治の気骨さを思い起こすべき。



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