先日、ある先輩が「水は方円の器に従う」と自分の経営を語った。辞書では「民は君主の善悪に感化されてどちらにもなる。また、人も交友・環境によって善悪のいずれにも感化される」とあります。先輩は「自分の事業経営も、自分の器以上にならなかった」と回顧したものと理解いたしました。


(神童・天才・秀才・凡人)

 人は生まれ、両親親族の期待を一身に集め、ちょっとした仕草で「この子は神童だ」とか、少しでも成長が早ければ「この子は天才・秀才」と愛情を持って育てられてきました。ただ成人すれば、立場は逆になります。特に経営者には事業経営に足る器量の大きさを示すことが必要となります。


(経営者の器)

 先天的な資質、成長段階での環境的要因などといわれますが、誰も経営者としてのスタートは神童・天才・秀才と慈しみ育てられた凡人レベルにあります。その後は、自力で18歳の学校選択し、23歳の就職先を探し、30歳までの実業能力の蓄積させるハードルを跳び越えて経営者の候補者になります。そして、自分の良きお手本(ベストプラクティス)と継続的情報収集(ベンチマーキング)を行い、社長としての実践力を身に付けていくのが道筋であります。


(人物の大きさ)

 社長の器は、従事員の大きさで決まります。使用人ゼロ、5名以下、10名、30名、100名、300名以上では求められる大きさが違います。自分が求める事業規模がどの程度とするかで身に付けなければならない器の大きさか決まります。現状と目標の大きさが違うならば、何れかで良質な疑似体験を求めるべき、私は職業団体の役職を引き受け組織運営の仕組みを学びました。



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 なお、私からのメッセージは・・・・・