自分にとって何か問題に直面すると、自分が勝手に恩師と呼んでいる飯塚毅TKC創業者と小野正孝元日本青年会議所会頭の教えを基に考えています。飯塚毅先生から教えられた言葉に、臨済宗の公案「瑞巌主人公」があります。


(「主人公」という言葉を新聞紙面で発見)

 10日の産経新聞「一服どうぞ」 裏千家前家元 千玄室氏の「漢詩に見る自己陶酔の戒め」と題する文章の中に、「唐時代の瑞巌師彦(ずいがんしげん)和尚が毎日、「主人公」 「諾(だく)」 「惺惺著(せいせいじゃく)」 「諾」 「他時異日(たじいじつ)人の瞞(まん)を受くること莫(なか)れ」 「諾諾」と自ら喚びそして返事をしたたことで己を省み、そして自分を認識したのである」一文ありました。


(この公案は・・・ 臨済禅 黄檗禅 公式サイト より)

 師彦和尚はいつも庭前の石上に坐り、大声をあげて自問自答します。
「主人公ーー師彦和尚よ」、「諾ーーハイ」、「惺惺著ーー目をさましているのか! 主人公がお留守になっていないか!」、「他時異日人の瞞を受くること莫かれーー他人のうわさ話を気にするな!主人公を見失うなよ!」、「諾諾ーーハイハイ」。このように来る日も来る日も自問自答し、自ら警策(むち打つこと)を加えて、自己を研磨したのです。私達はついつい自分を見失って、他に引きずりまわされることが常です。・・・・本当の自分自身を捜し尋ね、自分自身を見つけ、そして自分自身を鍛え、自分自身を確立して、自分自身に正直に生きる、それが自主性の確立です。人間としての完成でもあるのです。


(教えは理解しても、行動に移れない)

 「主人公」という言葉の使い方は覚えても、自分が自分と思っている自分は他人から見られている姿で、心の奥底になる本当の自分、潜在意識を探し求める機会はない。ただただ、猿のように回りに振り回され、心が落ち着く時がありません。人生は一回しかないのであるから、余計なことは出来ない。朝目覚めたら、師彦和尚の様に声を上げ自問自答し、落ち着きを求めたい。



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 なお、私からのメッセージは・・・・・